(第208号) 古今伝授のまち三島(2) ~連歌師宗祇と古今伝授~ (平成17年9月1日号)

 今年は、わが国最初の勅撰和歌集(ちょくせん)である古今和歌集(古今集)が成立してから千百年、新古今和歌集(新古今集)の成立から八百年という記念すべき年にあたります。
前古今伝授について概略を紹介しましたので、今回は三島で古今伝授を受けた連歌師宗祇を中心に紹介したいと思います。
飯尾宗祇(いいおそうぎ/1421~1502)は室町後期の連歌師で、中世文芸の連歌を全国に広めました。連歌とは五七五・七七の和歌形式から派生したもので、五七五の発句(第一句)に七七の脇句(第二句)を付け、これに五七五の第三句、さらに七七の四句というように、上の句と下の句を交互に付け進めるものです。今日の俳句は連歌の発句が独立したもので、俳聖松尾芭蕉も宗祇を敬慕していました。
 宗祇の若い頃は不明な点が多く、生誕地に関しても近江説、紀州説などがあります。幼い頃から京の相国寺(しょうこくじ)で禅の修行を積み、三十代より連歌を志し、五十代半ば過ぎからは京に種玉庵(しゅぎょく)あんを開き、ここを拠点に連歌の指導や『源氏物語』など古典の講義を行い、将軍や朝廷との親交の中で宗匠(そうしょう)としての地位を確立していきました。
一方、宗祇は旅の歌人としても知られ、『白河紀行』等数々の著作が生まれています。
さて、三島で行われたといわれている東常縁(とうのつねより)から宗祇への古今伝授は、文明3年(1471)51歳の時、正月28日から4月8日迄と、同年6月12日から7月25日迄の二度に渡って行われました。二度の伝授のうち、少なくとも初度は三島で、二度目は三島あるいは常縁の本拠地郡上(ぐじょう/岐阜県)で行われたと考えられています。ちなみに東常縁は室町時代の美濃国郡上篠脇(しのわき)の領主で、著名な歌人でもありました。
 また、三島滞在中の3月27日、東常縁の息子である竹一丸の病気平癒を願い、独吟『三島千句』を三嶋大社に奉納しています。この頃、関東の古河公方が韮山の堀越公方に対し攻撃をしかけており、常縁は堀越方の武将として三島に陣を張っていました。
 発句「なべて世の風を治めよ神の春」は戦乱の緊迫の中で、単なる病気平癒を越え、世の平和を祈願する意思が強く感じられます。
 文亀2年(1502)越後にいた宗祇は、門人である宗長と駿河に向かう途中、病のため箱根湯本で急逝しました。遺骸は「富士をもいま一度見侍らん」と言った宗祇の願いどおりに、富士山の見える裾野市の定輪寺に葬られました。
(広報みしま 平成17年9月1日号掲載記事)