雲助の墓

雲助の墓
 雲助の墓は、もと接待茶屋付近にありましたが、現在は山中新田東端の老杉の下にあります。
 この墓の主は、久助という人で、なかなか立派な家の出であったといいます。一説には武家の生まれともいわれ、なかなかの器量人であった様です。しかし、どのような理由からか一生を人の卑しむ雲助で終わりました。
 日頃、頭役となって仲間の取り締まりをしていましたが、困窮の者や若者のめんどうを、身銭を切ってもしてやりました。これは、雲助だけのことではなく、街道筋の百姓にも同じでした。
 ことに、往来の悪者に難くせをつけられて、弱りきっている者を身をもってかばってくれたといいます。
 したがって、仲間の者からも、また、街道沿いの百姓、商人からも厚い信頼を受けていたのです。彼は、終生酒を愛し、酒を楽しみ、酒の中で一生を終わったといわれています。
 その死後、彼を慕う後輩の雲助や土地の人々の手によって作られたのが、通称「雲助の墓」といわれるこの墓なのです。
 石碑の前面に、大きく杯と徳利を浮彫にして、全体にしゃれた趣を漂わせたこの墓は、彼の人柄をよく表現しています。往年は、香華の煙の絶えることがなかったといわれています。