三島の産土神大社周辺の文学

三島ゆかりの作家とその作品

三嶋大社を舞台にした井上靖の小説

井上靖
 「すじ向いに三嶋大社の大きな石の鳥居がある。
毎朝、往来へ出ると、神社の方へちょっと頭を下げて行くように伯母に言われているが、いつもこれは省略させて貰ふことにしている。」

 三嶋大社前の間宮家から沼津中学校(現沼津東校)へ通学する井上靖の若き日の姿を思いだすことができる。
 作品は『夏草冬濤』であり、父隼雄の姉の間宮宇米(うめ)との心の通いあいにほのぼのとしたものがあり、多感な靖少年のいたづらぶりが、三嶋大社や三島田町駅などを舞台として楽しい青春小説となっている。

「トランプをやっていると時々、けたたましい音を夜空にひびかせて、花火が打ち揚げられた。その度に蘭子の顔が赤や青の色に彩られるやうに、洪作には思われた」

 この描写は三島の夏まつりを、その作品『しろばんば』に書き込んだ一節である。文壇の大御所となった井上靖の揺らんの地は三島であるのかもしれない。

新田次郎の数々の名作と三島明神

新田次郎
 不屈の闘魂の作家・新田次郎は昭和7年に富士山頂の無線係として配属され、三島の気象台に連絡のためたびたび訪れている。
 土地感が豊富なせいか、名作『武田信玄』・『武田勝頼』や『新田義貞』のなかで、三島神社を数多く登場させている。

 新田次郎の『からかご大名』は下田街道添いの「言いなり地蔵」がその内容であり、三島の小出山荘で小出正吾から入手した資料や話が役立っている。
 なお、元富士山気象台長の藤村郁雄(長泉町在住)は三島の俳句誌『天城』のなかで新田次郎との富士山ぐらしのエピソードを楽しく書いている。

三嶋大社を歌う歌人 穂積忠

穂積忠
 この森の朝光深し宮司来て
 ぬれし落葉を焚きそめにけり
 霜白き笹の群生に椎落葉
 たまたまは深う音たてにけり

 これら三嶋大社を歌った歌は、昭和23年4月から三島南高校の校長であり、昭和29年2月に在職中に他界した北原白秋の高弟である穂積忠の『雪祭』の中の三嶋大社にちなんだ歌である。

 町なみに富士の地下水 湧きわきて
 冬あたたかに こもる水靄
 湧水の水靄ふかくたちこめて
 街はひそけし 大き不二ヶ嶺

などの歌は三島の清流を歌った忠の歌集『叢(くさむら)』のなかの歌である。

三島明神に残された紀行文や日記

 天武天皇の681年から、伊豆の国府としての三島。
 伊豆一の宮としての三島明神はやはり歴史の主人公といってもよい。
 三島明神に関する古文書はかなり古く、鎌倉時代の『東関紀行』、阿仏尼の『十六夜日記』なども文芸作品として評価できる。
 関連のある三首の歌を例示しておく。

 おのづから伝へし跡も有るものを神はしるらむ敷島の道
 尋ねきて我がこえかかる箱根路を山のかひあるしるべとぞ思ふ
 玉匣(くしげ)箱根の山を急げどもなほ明けがたき横雲の空



紹介にあたりましては「市制50周年記念誌」を参考にさせていただきました。