托鉢僧と緑濃き龍沢寺

三島ゆかりの作家とその作品

橋本英吉、水上勉、中川宗渕の文学

水上勉
 伊豆長岡の守木に住んで名作、『富士山頂』を発表した、橋本英吉が『寵児の生涯』の中で、龍沢寺の不動明王を作った鏝細工の天才、入江長八について小説化している。

「長八は死ぬまでの最後の仕事として、不動明王像をつくろうとおもひきめた。それに没頭する楽しみを心にゑがきながら、仕事場所を探した。そして三島在の禅宗の名刹龍沢寺をえらんだ。同寺は東海道原に住んだ白隠禅師の開基で、鉄舟や次郎長もここを禅修業の道場としていた」

と描いている。
『雁の寺』『飢餓海峡』『五番町夕霧楼』の水上勉の作品『白隠』の中にもこの記述は詳しい。

「三島市にある龍沢寺は、白隠開山の名刹である。もともとここは、心経寺の管理する廃寺であって、その名を龍沢といったが、弟子東嶺の力によって草創をみている。東嶺は第1世として龍沢寺を純禅道場とし、雲集する道俗を禅化したが、正受、白隠の峻厳なる純禅を世間にひろめたその功績は大きい」

とある。加えて、龍沢寺中川宋渕元老師の文筆もかなりのものであり、飯田蛇笏門『雲母』の俳人として、『詩盦(がん)』、『命篇』の詩文集がある。

 寒月や耳光らせて僧の群
 寺の樹々さゆぎもなく星合ひぬ

 などの句には、三島の風物詩が宿っている。



紹介にあたりましては「市制50周年記念誌」を参考にさせていただきました。