(第230号)ふるさとの人物(前篇) (平成19年7月1日号)

 郷土資料館で七月十五日から始まる企画展(平成十九年七月十五日から九月二十四日まで)「ふるさとの人物」について、今月と九月の二回に分けて解説していきます。  
 三島市郷土資料館では、郷土三島に貢献された人物あるいは三島に由緒があり学術・芸術などに優れた業績のある人物を市民の皆さんに知っていただくため、平成七年度からそれぞれの人物に縁のある場所に説明板を設置してきました。現在では三島市内(一部函南町)に十基ほど設置されていますが、今回の企画展ではこの十人を 取り上げて紹介していきます。

滝之本連水(俳人)
 
 天保三年(一八三二)、代々伊豆佐野の名主を務める勝俣家に生まれます。父花岳(俳人)の手ほどきもあり、二十六歳の若さで「俳関」の号を授かります。富士山を詠んだ句集『雲霧集』を出版し、地方俳諧の指導者として多くの門人を集めました。


世古六太夫(本陣主)
 
 天保九年(一八三八)、川原ヶ谷に生まれ、十四歳の時、三島宿本陣世古家に入ります。明治元年、官軍と旧幕府勢力が三島宿をはさんで対決した際、三嶋明神の神官と両者の調停をはかり、一触即発の危機から三島を救いました。明治期には私立学校の創設など教育のために尽力し、また実業家としても通信運輸事業を展開、三島の郵便局の礎を築きました。


並河五一(漢学者)
 
 寛文八年(一六六八)、山城国に生まれます。儒学者伊藤仁斉に学び、江戸期の地誌編さんの先駆けである『五畿内志』を手がけます。

五十七歳の時、三嶋明神の神主矢田部盛富の招きにより三島に来て漢学私塾「仰止館」を開き、土地の子弟を教育しました。弟子の中には『豆州志稿』を著した秋山富南がいます。


箕田寿平(俳人)
 
 天保十一年(一八四〇)、君沢郡八反畑に生まれます。  
 十五歳の時、福井雪水に学び、後に三島出身の俳人・孤山堂卓郎の門下に入り孤山堂 凌頂と称します。明治に入ると鳴鶴社を興し、俳諧研究会を主催、その活動は彼の名を広く知らしめると共に、近代三島の俳諧の師と仰がれました。

福井雪水(三島の教育先駆者)
 
 文化十一年(一八一四)、三島宿(長谷)に生まれます。江戸に出て、儒学者山本北山・朝川善庵の門に入り、学問を磨きました。二十五歳で三島に戻り、漢学塾「千之塾」を開きます。門人からは明治期に活躍する優秀な人材が数多く育ちました。
【平成19年 広報みしま 7月1日号 掲載記事】