(第328号)終戦直後からの社会の民主化の働き―庶民大学三島教室―(平成27年9月1日号)

今年は第二次世界大戦の終戦から七十周年の節目の年に当たります。終戦は、単に一つの戦争に負けたというだけでなく、これを契機として領土が縮小され、非軍事化や民主化のためのさまざまな変革が行われ、社会が大きく変わっていきました。なかでも憲法の改正は政府だけでなく民間の多くの人たちが関心を寄せ、議論や意見の表明がなされました。  

新しい日本国憲法は昭和二十一年(一九四六)十一月三日に公布されますが、この年の六月、三島でも憲法改正草案についての市民検討会が行われています。会場は西国民学校(現在の西小学校)講堂で、参加者は約七十名、四時間にわたるものでした。検討会では主権のあり方や戦争放棄、国民の権利などさまざまな点について賛成・反対の意見が出され、活発な討論が展開されました。現代では当たり前のこととして多くの国民に受け入れられている主権在民や二院制についても発言者によって賛否が分かれました。終戦から一年も経っていない時期だけに、変革の真っただ中にいた人たちの真摯な姿勢を見てとることができます。  

この活発な市民検討会は「庶民大学三島教室」が主催したものです。「庶民大学」は終戦直後の数年間、地元の文化団体と若手知識人により生まれた教育文化運動で、三島近郊に疎開していた若手の労働法学者・木部達二が中心となって組織されたものです。  

民主主義、教育、経済学から文学や映画など広範囲にわたる講座が開かれ、講師陣も政治学者の丸山真男、歴史学者の石母田正など若手第一線の学者が招かれました。彼らによる講座は多くの聴講生にとって有意義なものとなったばかりでなく、聴講生との質疑応答や意見交換は新進気鋭の講師にとっても大きな刺激となったようす。  

庶民大学の活動は講座の開講に留まりませんでした。機関紙「庶民大学通信」が発行され、「読書部」という書籍販売部門も活動します。庶民大学の活動はひとつの教育文化運動として展開していったのです。  

庶民大学通信

先の市民検討会は、その前に合計七回におよぶ講座を行ってから開催されたものでした。このような事前の学習があったからこそ検討会での活発な議論となったといえます。また、検討会の様子は「庶民大学通信」に掲載され、当日参加できなかった会員にも伝えられました。  
庶民大学はさまざまな事情から昭和二十四年には活動を停止します。しかし、その成果は市民の中に受け継れ、昭和三十八年からの石油化学コンビナート反対運動において、市民による学習活動を基盤にした活動の展開に繋がっていきました。
【広報みしま 平成27年9月1日号掲載記事】