歴史の偉人ゆかりの地7 鎧坂(よろいざか)2(武田信玄) (平成24年10月1日号)

 鎧坂の地名は「武田信玄の鎧が洪水に遭い流されてしまった」という伝説に由来します。

 大正8年(1919)以降、三島に野戦重砲兵旅団(やせんじゅうほうへいりょだん)が設置され、それまでの鎧坂の大半が第2連隊の敷地となりました。現在、北中学校や日本大学三島キャンパスが建っています。連隊が三島にきたため幸原に向かって新道(今の銀杏並木)が作られ、道に沿って西側に第3連隊と旅団司令部、東側に第2連隊と 衛戍(えいじゅ)病院がありました。近隣の人によると、当時は加茂川神社から兵隊がラッパの練習をする音がよく聞こえてきたそうです。

 鎧坂は、新たに西岩崎を北へ真っすぐのぼる道に改められ、幸原へ向かう現在の銀杏並木に続きます。信玄地名伝説が伝わる古くからの鎧坂は文教町の消防署北分遣所裏に100mあまり残っています。

鎧坂
▲鎧坂

【広報みしま 平成24年10月1日号掲載記事】