箱根西坂の史跡2  接待茶屋  (平成19年3月1日号)

 文政7年(1824) 旅人に無料で粥(かゆ)や焚火(たきび)、飼葉(かいば)を提供する「接待所」が、箱根峠から2キロメートル程下ったところに設けられました。資金難から安政元年(1854)に一度閉じますが、明治12年(1879)、下総(しもうさ)国(千葉県)八石性理(はちこくせいり)教会により「接待茶屋」として再興されます。

 その後、教会の門人、鈴木利喜三郎(りきさぶろう)とその子孫が運営を引き継ぎます。鈴木家の人々は、箱根竹の栽培などで得た資金を茶屋の運営に充て、自分たちは質素な生活を貫きました。

 昭和45年(1970)「接待茶屋」は残念ながら閉じることになり、平成5年(1992)国道拡幅工事のため建物も取り壊されました。

 永年にわたり、人々に無料で茶を施(ほどこ)したことから、この地を「施行平(せぎょうだいら)」と呼ぶようになり、いまなお地名として残っています。

【広報みしま 平成19年3月1日号掲載記事】