(第370号)秋山富南の『豆州志稿』編纂事業(平成31年3月1日号)

このたび、安久(やすひさ)の秋山家から郷土資料館へ、同家に伝来する近世・近代の歴史資料約八〇〇点(以下「安久秋山家文書」と表記)を寄贈していただくことになりました。

秋山家は、江戸時代に伊豆国の地誌(ある特定の地域について地理・文物・風俗などの諸要素を記した書物)『豆州志稿(ずしゅうしこう)』を編纂した学者秋山富南(あきやま・ふなん)を輩出しています。
今回は、安久秋山家文書の紹介をかねて、富南による『豆州志稿』の編纂事業を取り上げます。


『豆州志稿』(市指定文化財)

▲秋山富南編『豆州志稿』(市指定文化財)

江戸時代を生きた国学者・地誌学者秋山富南(一七二三~一八〇八)は、安久村の豪農秋山家に生まれました。
同時代人に、幕府の命をうけて完成した地誌『五畿内志』(畿内五ヶ国の地誌)の編者として知られる並河誠所(なみかわ・せいしょ、一六六八~一七三八)がいます。
誠所は、三島宿に居を構えて「仰止館(ぎょうしかん)」という私塾を開いており、富南はその門人となっています。


江戸時代、諸藩や幕府、民間の知識人の手によって様々な地誌が編纂されました。
富南もまた、師誠所の功績を引き継ぐ形で伊豆国の地誌編纂に着手しました。
当初は個人で調査・編纂を試みていましたが、自力では果たすことが難しかったようです。
寛政六年(一七九四)韮山代官を通じて幕府から地誌編纂の許可を得ることに成功します。
韮山代官はこれをうけ、伊豆国内の村々に対して富南の調査に協力するようお触れを出しました。

富南は調査班を編成して現地調査をはじめるとともに、各村に向けて、生産高や人口・戸数、寺社、古跡等を記した「明細帳」(現在の市勢要覧のようなもの)の作成・提出を依頼し、情報を集積していきました。
このように、現地調査と情報収集という編纂の土台づくりが、幕府の後援をうける形で進められました。
その成果は寛政十二年に『豆州志稿』全十三巻として結実し、今もなお、江戸時代の伊豆国を知ることのできる貴重な資料として重要視されています。

伊豆国内の村々の明細帳

▲秋山家文書より見つかった伊豆国の村々の明細帳


現在、寄贈予定の安久秋山家文書について、郷土資料館と館ボランティアとの協働で、将来的な利活用に向けた整理・調査作業を進めています。
その整理作業中、富南の依頼に応じて作成されたと考えられる伊豆国内の村々の明細帳が見つかりました。
具体的には小坂村・古奈村(現伊豆の国市)、下田町・田牛村(現下田市)、大川村(現東伊豆町)、岩殿村・加納村(現南伊豆町)、宇佐美村(現伊東市)、浜村(現西伊豆町)の明細帳が発見されました。
さらに調査を深めることで、伊豆国に関する研究の、より一層の進展が期待されます。




【広報みしま 平成31年3月1日号掲載記事】