縄文時代(1万5000年~2700年前)

気候の温暖化により、海面が上昇し海が広がりました。ドングリなどの木の実、中小型の動物、魚介類など食料が豊富になり、竪穴式住居をつくり、定住するようになりました。また、土器が使われるようになり、木の実などのアク抜きや煮炊きができるようになりました。
 市内では箱根西麓の森林で多くの遺跡が見つかっています。千枚原遺跡では17軒の住居跡が発見されました。森林での狩猟と採集、沢地川での漁撈によって生活していたムラであると考えられています。

(1)縄文土器

縄文土器 深鉢 陰洞B 三島の歴史 縄文土器 深鉢 観音洞B 三島の歴史
左:深鉢 縄文時代前期 陰洞B遺跡、右:深鉢 縄文時代中期 観音洞B遺跡

 縄文土器は厚手で表面に縄目のような文様が付けられています。土器の主体である深鉢形土器は煮沸を目的としたもので、ドングリ類のアク抜きなどに威力を発揮しました。

(2)縄文土器(埋甕・うめがめ)

縄文 埋甕 三島の歴史
縄文時代中期 千枚原遺跡 第6号居住跡

 この埋甕は住居跡の出入口部に、逆位で埋められていました。埋甕は乳幼児の埋葬や、幼児の健やかな成長を祈念した胎盤の埋納に使われたと考えられています。この埋甕には、中に納められた人の息抜きのためか、底部に穴があけられていました。

(3)縄文土器(土偶など)

縄文 土偶の顔 三島の歴史 縄文 吊手土器 三島の歴史
土偶 左:縄文時代後期 寺屋敷遺跡、右上:縄文時代中期 奥山遺跡、右下:縄文時代後期 千枚原遺跡
吊手土器(つりてどき) 縄文時代 観音洞B遺跡


 土偶は出産や豊穣、再生にかかわる祭祀で使用したと考えられています。土偶(左)は、顔の左右に弧状の2本線が描かれており、「入れ墨」を表現したものと見られます。
この吊手土器は内側にすすが付着しており、火を灯してつり下げたものと推定されます。吊手土器も祭祀に使われたと考えられています。

(4)狩猟具

縄文 石鏃など 三島の歴史
上:有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき) 下:石鏃(せきぞく) 縄文時代 初音ヶ原遺跡

 有舌尖頭器は縄文時代の初めに見られるもので、イノシシやシカなど中型の動物を狩るための投げ槍であったと考えられています。石鏃は弓矢の先端に取り付ける鏃(やじり)です。木々の間を走り回るシカなどの俊敏な中型の動物を狩るようになったため、狩猟具の主流が投げ槍からより機動性の高い弓矢に移り変わりました。


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