(第80号) ~南北朝時代の古暦~ 三島暦 (平成6年2月1日号)

三島暦
 昭和47年、栃木県真岡市にある荘厳寺の不動堂の本尊、居貫不動尊の玉眼がポロリと内側に落ちたことから、約650年前の歴史が現代の陽光の中に飛び出してきました。

 不動尊像の修理依頼を受けた仏師が頭部の前半分を外したところ、頭部からは般若経文、頸部からは宝筐印塔の印紙、胴体からは驚くほど多量の古文書が次々と出てきました。

 古暦(三島暦)は、この古文書の中に混じり、紙背にはびっしりと印仏を押されていました。どうやら、暦は印仏を押すことを主として使用されたものと思われます。

 しかし、この古暦によって、時代を判定することが出来ました。3年分の、しかも完全な形での暦の年代は、康永4年(1345)、康永5年(1346)、貞和3年(1347)と3年連続でした。

 発見当初、古暦は余り注目されませんでしたが、その後、暦の研究者達の目に止まり、これが日本の暦研究の上で極めて重要な発見であること、また、発見された場所が関東であること、仮名版暦であることなど の理由により、三島版暦であろうということが報告されました。

 荘厳寺は天長9年(832)慈覚大師の建立になる天台宗の古刹、鎌倉時代には源頼朝の崇敬を受けたと記録を残しています。三島もまた、頼朝とは縁の深い所、その三島が誇る三島暦が、関東に存在しても不思議ではありません。

 郷土館では荘厳寺のご協力を得て、三点の古暦のうち、貞和三年暦の年首部分を複製させていただくことができました。本暦は書写暦で、その暦面には中世らしい美しい肉筆仮名文字でたくさんの暦注が整然とならんでいます。

 貞和年間といえば、将軍は足利尊氏、朝廷は南北二つに分裂していた室町前期時代です。この時代に三島から発せられたであとう三島暦が、いま、故郷によみがえりました。
(広報みしま 平成6年2月1日号掲載資料)