(第73号) ~台所の文明開化~ パン焼き器 (平成5年7月1日号)

パン焼き器
 朝食にはパンとコーヒーとサラダを、という家庭も多いことでしょう。今ではなんの違和感もない西洋風メニューの食卓が日常の生活に溶け込んでいますが、このように台所の西洋化が進んだのはごく近年のことでした。

 ところで、食卓にパンが並び主食を補うようになったのは、いったいいつ頃からだったでしょうか。一個の古いパン焼き器から、パンの歴史と、かつての庶民の台所を探ってみようと思います。

 パンは戦国時代末期にポルトガル人がもたらし、パンという言葉もポルトガル語がそのまま日本語になったものです。しかし、この時代にはパンが日常の食卓に上るほどには一般化しないで、外国人の食べる特殊な食べ物と見なされていたようです。

幕末には、イギリスやフランス、アメリカ、ロシアなどの西洋諸国の到来と共に、再びパンが登場します。江川坦庵公は、パンを焼いて、これを兵糧食にしようと試みています。これが当地域のパンの初めであろうと思われます。

 明治初年、パンの中に餡【あん】をいれたアンパンが考案されました。アンパンは西洋と日本が折衷したアイデア商品として、人々の間で大流行します。以来、さまざまな菓子パンが登場し、パンは日本に定着します。

 戦後、家庭で手軽に焼けるパン焼き器が普及しました。厚手の鋳物製、表面は波状になっていて、熱がより多く通るようになっています。器の内部には円筒形の煙突が突出していて、内部にも熱が回る仕組みとなっています。卵を入れて小麦粉をねり、ふくらし粉(酵母)を入れ、パン焼き器をヒチリンにかけると、あとはパンがふくらんで焼けるのを待つばかりです。このパン焼き器の普及は、昭和30年代頃のことでした。

 戦後の貧しい食糧事情を補う家庭のパンは、多くの子供達に喜びを与えたものです。まさに、台所の文明開花をもたらした利器だといえるでしょう。
(広報みしま 平成5年7月1日号掲載記事)