(第235号)東海道の名物~県内の街道名物~ (平成19年12月1日号)

 江戸と京都を結ぶ東海道が江戸時代の初めに開設され、これに伴い各宿場には名物が数多く登場しました。今回は静岡県内の宿場の代表的な名物を紹介します。


三島宿「三嶋暦」  

 仮名版暦では日本最古といわれる三嶋暦は、三島宿のみやげとして有名でした。江戸時代の歌人香川景樹は『中空の日記』で「世に名高い三島暦を街道名物として求めた」と記述しています。

原宿「松蔭寺擂鉢松」
 
 原宿にある松蔭寺には、多くの禅画を残し、因果応報を説いた白隠禅師(一六八五~一七六八)が大擂鉢を被せた松があります。

吉原宿「白酒」
 
 白酒とは、酒にもち米と米麹を仕込んで熟成させ、出来た諸味をすりつぶした甘い酒です。吉原宿と蒲原宿の間宿・本市場の名物ともして販売され、多くの浮世絵や地誌の中に取り上げられています。

興津宿「興津鯛」
   
 興津沖でとれた甘鯛を一夜干しにしたものを「興津鯛」と呼び、江戸や京都で珍重されていました。「興津鯛」の命名は徳川家康によるものとも言われています。

丸子宿「とろろ汁」  

歌川広重の東海道五十三次にも描かれている「とろろ汁屋」は慶長元年(一五九六)創業の丁子屋。松尾芭蕉の句や東海道中膝栗毛にも登場するほど有名です。

島田宿「小まんぢう」
 
 享保年間、紀州浪人の置塩露庵から甘酒皮の饅頭づくりを伝授されたのが始まり。その後、参勤交代中の松平不昧公の助言により一口サイズの小さな形となってから街道名物になりました。

掛川宿「葛布」
 
 山に自生する葛の繊維でつくられる布で、丈夫で軽く通気性が良いものです。江戸時代には武士の衣服として使用されていました。現在では、和装小物や座布団カバーが作られています。

浜松宿「浜納豆」
 
 中国(明)の僧から伝来し、「唐納豆」といわれていましたが、江戸中期から「浜納豆」と称するようになりました。豊臣秀吉、徳川家康も好んだと言われています。浜松市三ヶ日町大福寺伝製。

白須賀宿「勝和餅」
 
 豊臣秀吉が天正十八年(一五九てんしょう〇)小田原攻めの前に食べ、戦に勝利したことから「勝和餅」と命名。団子にソテツの餡を入れた餅であったといいます。現在、「和田屋製パン」で製造(三月~五月)しています。
【平成19年 広報みしま 12月1日号 掲載記事】