本陣と脇本陣

本陣と脇本陣
東海道をはじめとする主要街道は道中奉行の 管理下に置かれ、公用旅行者や参勤交代の大名が宿泊する宿駅には、問屋場、本陣、脇本陣、 旅籠、木賃宿などの施設が整えられていました。
本陣と脇本陣
ここ三島宿も同様、慶長6年(1601)東海道の宿駅となって以来、将軍上洛の際に本陣とした三島御殿や鷹狩のための鷹部屋などの施設も整えられ、宿場のほぼ中央には、二軒の本陣が向かい合って建っていました。
本陣と脇本陣
樋口家本陣と世古家本陣です。両本陣はお互いに「株分け規定」を取り交わし、諸大名や公家僧侶および幕臣や諸大名の家臣たちのための宿泊や休業業務を割り振って、「街道」にかかわる「御用」を務めていたのです。
本陣と脇本陣
この他にも、脇本陣3軒、旅篭74軒が備わり、街道を行き来する人々も多く、さまざまな地域の物資が集散する宿場町として発展を遂げました。