(第15号) 無駄の少ない農家の間取り (昭和63年9月1日号)

 郷土資料館の二階には、商家と農家の復元家屋を展示しています。今回は農家の間取りについてのお話しです。
 三島の農業地域でも、家屋の建て替えが進み、現在はすっかり景観を一変させてしまいましたが、昔の農村は茅で作った草屋根の農家が緑濃い田畑の中に寄り添うように集落を形成している風景がどこでも一般的な農村景観でした。
 農家の間取りは「田の字型」が普通でした。オオドグチ(あるいはトンボグチ)を入ると、ニワと称する土間があります。ニワにはヨナベ(夜の作業)の藁仕事のための石が埋めてありました。ニワの奥はカッテバ(勝手場)です。流しやへッツイ(かまど)があり、主婦が野良着のまま食事の支度ができました。ニワを抜けると背戸口です。田の字型の間取りは、表側の部屋がナキャア(中居)と座敷、背戸側がデヤァドコ(台所)と納戸の四間取りです。中居と座敷は祝言や葬式やオフルマイ(人寄せの村行事)などの時、二間続きの大部屋となりました。納戸は家長夫婦の部屋となっていました。お産の際にも納戸が使われます。
 一家の中心の部屋は台所でした。ここにはユリイ(囲炉裏)が真ん中にあります。囲炉裏を囲んで団らんがありました。四辺形の囲炉裏の周囲にはそれぞれ名称があって、そこに座る人も決まっていたものです。家長は横座。ニワに向かって座る一番奥の席です。広間を背に座る席は客座です。来客はここで接待したものです。主婦の席は客座の向かい側でしたが、特別な名称はありません。勝手場に近く給事が便利な場所です。横座に向かい合ったニワ側は木尻と言われました。燃し木を置く場所でした。
 このように部屋の中心に炉を持つ台所は、原始の竪穴住居に起源する部屋と考えられます。
(広報みしま 昭和63年9月1日号掲載記事)