(第21号) 殿様の到着を待つ 本陣の関札 (平成元年3月1日号)

 関札は本陣に宿泊する大名や公家、門跡の名前を書いて掲げる木の札です。厚手で材質の良い板に濃い墨で黒々と太字で「有馬玄番頭宿」(写真)というように書き、入口に掲げて大名たちの到着を待ったものです。
 関札をどのように掲げたかを知ることのできる史料が郷土資料館所蔵の古文書の中にありました。それによれば、約1m四方の土手を築き、土手の上には竹簀子を組み、中央に長き約5.6mの青竹を杉丸太でしばって立て、その上に関札を掲げた、とあります。また、安藤広重の東海道五十三次の関宿風景「本陣出立」には、家紋入りの幔幕を張りめぐらせた本陣から、早朝の出立を急ぐ大名一行の様子が描かれています。よく見ると前記のような関札を掲げてある設備までがしっかり描かれていて、関札の使用法がよく分かります。
 ところで三島の宿場には江戸時代、二軒の本陣が向かい合って建っていて、お互いの常連客(定宿指定の諸大名など)を公平に分け合って(株分け規定)営業していました。本陣のあった場所は現在の本町交差点から少し西寄りの所で、街道北側に世古本陣、南側に樋口本陣という配置でした。
 宿場を代表する宿泊施設の本陣と、街道を往来する花形の大名行列の組み合わせは、町をあげての一大行事となりました。各地の諸侯が通るたぴに賑わった二軒の本陣かいわいの繁栄が想像されます。
 参勤交代や幕府、藩の御用で、二回三回と宿泊を重ねた久留米藩の有馬の殿様は、三島宿の歓迎に対して謝意を表して、三島明神(三嶋大社)にまで石燈籠を寄進しています。本陣が仲介役となり、大名と町が縁を結ぶことになった例です。現在も三嶋大社鳥居口境内にはこの石燈籠が建っています。
 今回取り上げた関札は、この有馬家のものと思われます。
(広報みしま 平成元年3月1日号掲載記事)