(第89号) ~女衆の講の象徴~ 庚申塔  (平成6年11月1日号)

庚申塔 
 暦が旧暦から太陽暦採用の新暦になってからすでに120年余も経ていますが、今でも旧暦時代の名残【なごり)を残した民間の行事が守り続けられています。

   庚申講【こうしんこう】は干支【えと】の「かのえさる」(庚申)の日を期日として、60日に1回行われる行事です。市内の新谷地区では、この夜、ヤドと呼ばれる講当番の家に女衆【おんなしゅう】が集まり、簡単な祭壇【さいだん】を設けてローソクをともし、団子や菓子、果物などの供物をそなえ、庚申さんの掛軸(青面金剛像【せいめんこんごうぞう】)を正面に掲げて祈祷【きとう】を上げます。

   祈祷文には「おこうしんで、おこうしんで、まいたり、まいたり、そわか」という祈祷と「のもきり、こもりい、くろきり、しゃり、そわか」という祈祷の2種類があり、各々100回づつ唱えます。また、その後、ヤドの家の宗旨【しゅうし】に合わせての祈祷文を100回、「その家の先祖供養」のために唱えて全祈祷を終わります。このように、宗旨にこだわらない自由で平等なところが民間信仰と称される所以【ゆえん】です。

   一般的な庚申信仰には「庚申の夜は、人が寝ている間に、三尸【さんし】という虫が出て人の悪事を天の神に告げ口をするので、朝まで起きていて日(太陽)を迎え、告げ口されるのを防ぐ」という言い伝えがありますが、三島周辺の伝承では現在は聞くことがありません。

   しかし、新谷では「庚申さんには、お話が供養」などといい、祈祷終了後に供物のお菓子を分けあって食べながらのよもやま話しに花を咲かせる習慣が残っていますが、これなどは、かつての「ヒマチ」(日待、太陽が出るのを待つ)の名残ではないかと思われます。

   三島では、かつて、新谷のような庚申講が各所で開かれていたと聞きます。現在、市内の路傍【ろぼう】や、ムラの広場に、約30数基の庚申塔がありますが、それらは昔の講の存在の証しであり、同時にムラの精神生活を物語っていると言えるでしょう。
 (広報みしま 平成6年11月1日号掲載記事)