(第74号) ~ふるさとの画家~ 細井繁誠【ほそいはんせい】 (平成5年8月1日号)

「海辺」
 青くすんだ海、打ち寄せる白い波、浜辺で語らう男女。繁誠の「海辺」からは、夏の心地よい風が吹いてくるのを感じます。

 画家細井繁誠は、明治38年(1905)、三ツ谷新田の旧家細井家に生まれました。韮山中学校(現、韮山高校)を中退して、遠州見附(現、磐田市)の農学校に入学します。

 繁誠の画才は、ここで良き師匠に巡り会えて花開き、美術を志すことになります。そのころの思い出を、繁誠自身が次のように書き残しています。

 「私達26回卒業生の組の中には不思議と画を描くものが多かった。図画を担任されていた戸田順三先生は柔道も兼任されていた。先生の指導が良かったことに起因するだろうが、私達は画のグループを作った。
確か3年生になった頃だった。土曜日の放課後、一週間内に描いた物を各自持ち寄り黒板に張って、先生に批評していただいた。非常に盛会で、一教室に入りきれない位の人数が集まった事もあった。(以下略)」

 図画の戸田先生の指導はとてもユニークなものだったようです。繁誠は先生の指導の一言一句を思い出しています。

 その後の繁誠の中央画壇における活躍は目覚しく、昭和3年に帝展(日展の前身)に作品「路地」が初入選して以来、昭和13年まで連続入選を果たします。昭和14年には日展無監査となり、多くの作品を出品し続けます。その中の「下田港」(昭和19年)は、ふるさと三島の小学校(西小)に寄贈されました。

 昭和47年には、三ツ谷の高台から三島市街の夜景を描いた30号の「暮色」は文部大臣賞を受けました。ふるさと愛にあふれた繁誠の力作でした。

 細井繁誠と同様にふるさと三島を、愛した画家を紹介します。
栗原忠二、芹沢晋吾、杉本英一、高橋勝瀞、下田舜堂、瀬川眞。他多数の方がいらっしゃいますが、代表して記載させて戴きました。
(広報みしま 平成5年8月1日号掲載記事)