(第66号) ~ふるさとの甍~  大興寺の古瓦 (平成4年12月1日号)

大興寺の古瓦
 今から1200年以上も前に三島にあった古代寺院の瓦をはじめ、古代中国の瓦、日本文化に大きな影響を与えた朝鮮半島の瓦、日本各地の国分寺瓦など、約300点の貴重な古代瓦を展示しています。

 さて、日本への瓦の渡来は、6世紀に、百済から伝教が伝えられたことに始まったとされます。西暦588年、蘇我氏が飛鳥に建立した法興寺は、わが国における本格的な寺院建設の最初の試みでもあり、日本人がまだ見たこともない異国文化の香り高い仏教寺院だったといいます。なかでも、寺院の屋根をさん然と飾った瓦の波が、当時の民衆を圧倒するに十分な風景を構成したであろうことは、想像に難くありません。

 日本各地に瓦を葺いた建築物が普及したのは、それからほど遠くない時代のことです。

 三島には、五大寺院と称される古寺院が、後世発掘された古代瓦などから、その存在を伝えられます。大興寺(市ヶ原廃寺・現在の大社町付近)、山興寺(塔ノ森廃寺・三嶋大社東側付近)、国分寺(泉町)、国分尼寺(南町付近)、天神原廃寺(川原ヶ谷付近)です。白鳳期から奈良時代(7世紀頃)の古代寺院です。この時代、三島のように中央から遠く離れた地域で、このように多くの寺院が集中して建立された点が注目されています。

 ところで写真は大興寺の瓦と伝えられる古代瓦です。発見された場所は大社町の祐泉町境内。かつて寺一帯が、古代寺院の伽藍内だったそうです。塔の所在地は、下田街道の筋違橋付近、金堂は現在の祐泉寺北側付近ということが確認されています。市ヶ原廃寺跡と称されましたが、後に文献から、大興寺という古寺名が判明したものです。

 瓦模様は八枚の弁を持つ蓮の花の意匠。古代の大陸文化のおおらかな雰囲気を伝えます。   (広報みしま 平成4年12月1日号掲載記事)