(第153号) ~歌舞伎で人気があった~ 三島の「おせん」(2) (平成13年2月1日号)

三島のおせん
 「三島のおせん」は浄瑠璃【じょうるり】・歌舞伎で人気の役柄であったことを先月号で紹介しました。

 その後「おせん」についてもう少し詳しい資料が集まりましたので紹介します。

 浄瑠璃本「恋傳授文武陣立【こいでんじゅぶんぶのじんだて】」の中にある「五つ目、三嶋【みしま】お仙【せん】段」は同じ荒筋で時代設定や人物名を変え浄瑠璃・歌舞伎で数多く上演されていました。

 この中に明治以降に出版された演劇脚本「陸奥媚山賊」があり、「三嶋松原の場」「三嶋お仙内」のニ場に分かれ、お仙が中心に話が展開しています。

 鎌倉時代、三島駅(三島宿)入口付近で村娘達とにぎやかに木綿を晒【さら】していたお仙ですが、三嶋松原(錦田松並木を想定か)で、北条時政の馬を見事に制し、これが縁で宿はずれにあるお仙の家に泊まることになります。この後、黒装束に種ヶ島銃を手にしたお仙と大勢の手下が登場。実はお仙は盗賊の頭だったのです。

 場面変わってお仙の家、お仙は大根を切り膾【なます】を作り、時政を迎える準備にいそしんでいると、時政はお仙とその母の心使いを誉め、伊豆の国の水を掛樋にて駿河へ流しその樋の主をお仙の許嫁【いいなずけ】庄六とすると伝えます。庄六は健忘症、また、この樋は千貫樋【せんがいどい】と説明されていて、江戸時代、千貫樋が水道橋として広く知られていたことが推測されます。

 そのお仙のもとに手下の勘八が「錦戸様」からの密書を届けたり、鎌倉で名高い盗賊勘左衛門から夫婦になれと迫られたり。そこへ時政の軍勢が急襲、お仙一人で大立ち回りを演じ、ついに息絶えると言うもの。実はお仙は時政に滅ぼされた庄六の父加藤景清の仇【かたき】を討つ機会を求め三嶋に潜んでいたのでした。しかし時政の方が一枚上手、計略にはまったと見せかけ敵の一派を滅ぼしたのです。お仙の後ろには和田義盛・大江広元が反北条方として糸を引いていたのでした。

 女盗賊のあだ討ちは現実離れしていて逆に人気があったようで、多くの浮世絵に描かれました。

(資料提供、望月宏充氏贈「三島おせん」)
(広報みしま 平成13年2月1日号掲載記事)