(第112号) ~三島暦の模様か?~ 「三島手【みしまで】」 (平成9年9月1日号)

三島手【みしまで】
 陶磁器に「三島」という模様の種類があります。

 三島と呼ばれる陶磁器は、本来は、朝鮮半島で焼かれた高麗【こうらい】末期から李朝【りちょう】初期(14世紀から15世紀にかけて)所産の白磁以外のやきものを総称する言葉ですが、その名称由来に諸説があり、その一つに、わが三島と深い関わりがあります。陶芸家の加藤唐九郎氏が著した『原色陶磁大辞典』から、三つの説を拾い上げてみましょう。

 一、暦手【こよみで】といわれる三島に点綴【てんてつ】された線条文と密集した花文とを交えた文様が、昔三嶋大社より頒布【はんぷ】していた暦の相貌【そうぼう】に類似しているためとするのが通説です。

 二、こじつけの感がしますが、マカオ、フィリピン、台湾の三島【さんとう】のものを総称して三島という説。

 三、朝鮮では古来巨文島を三島と呼び、潮流の関係上中国やわが国の船舶がこの島に集まって付近産出の陶器を売買したので、この種の陶器を三島と称した説。

 加藤氏は、以上の三説を列挙していますが、彼が言うように、第一の三島暦と関係があるという説が一般的であり、また真実であろうと思います。しかし、加藤説にも少し思い違いがあります。それは、三島暦を三嶋大社が頒布したという点です。

 三島暦は、三島市を代表する歴史ある文化財です。三島暦の起源は、三嶋大社の社家(社人)である暦師の河合家によれば平安時代(貞観【じょうがん】年間)から同家が版行、頒布してきた暦であり、広い意味では三嶋明神(現三嶋大社)の配下にあったわけですが、河合家独自の暦算によるれっきとした民間暦でした。このように前記したような半島から流入した陶磁器の模様が、古くから存在し評判の三島暦の仮名文字模様に似ていたために、京の茶人たちが「三島」と命名したのでしょう。

 また、室町時代(14から15世紀)の都では、摺【す】り物の代名詞に「三島【みしま】」という言葉が使用されていたという説もあります。
(広報みしま 平成9年9月1日号掲載記事)