(第104号) ~女子の成長を祝う~ ヒナゼック (平成8年3月1日号)

お雛様の三四呂人形
 三島が生んだ人形作家の野口三四郎は、お雛様の三四呂人形を多く作っています。

 三四郎に待望の娘が生まれたのは昭和7年3月のこと。名前は春にちなんで桃里と名付けました。目の中に入れても痛くないほど可愛かったのでしょう。桃里が満3歳の春には「菜の花雛の話」という子供の物語を水彩画で書き上げ、二人の桃子と里子という子供を登場させています。

 ところが、その年の5月のことです。愛娘の桃里が疫痢にかかり、短い生涯を閉じてしまいます。父三四郎の無念さだけが可愛い人形となって残されました。

 ヒナゼックは、一般には三月節句と呼ばれ、女子の成長を祝い、無事な成長を願う行事として定着しています。祭日は、地域によって異なり、3月3日とするところもあれば、月遅れの4月3日というとことも見られますが、元来は、この日を上巳節とし、3月の第一の巳の日に水辺で穢れを祓うという中国の習俗が日本に伝えられたものと言われています。わが国でも昔は旧暦の3月の巳の日がきちんと守られていたものです。

 近年、わが国ではヒナゼックが年々華美になってきているように思えます。雛祭りと称され、女子のいる家庭では五段飾りや七段飾りの豪華雛が部屋を占領しているのを見かけます。菱餅、あられ、白酒が供えられ、親戚や近所からは祝いの品が届けられオオブルマイを催す例もあります。また、自宅では部屋が狭いからといって、町の式場貸し切りで祝うことも稀ではないと聞きます。

 しかし、こうした傾向も、もとはすべて女子の成長を願う親の気持ちと素朴な春の行事として始められたものです。

 各地にはさまざまなヒナゼックの習俗が伝承されています。「流し雛」は人の形をしたカタシロを川や海に流し、禊ぎ祓いをすることです。海のない三島あたりでは、神社やサイノカミサンの前に流すこともありました。「いつまでも、ヒーナサンを出しておくと嫁に行きそびれる」などということも、昔は言われたものです。

 ヒナゼックと対称に5月には男子の端午の節句が開かれます。
(広報みしま 平成8年3月1日号掲載記事)