(第102号) ~「お田打」で使われる農耕具~ 鍬【くわ】 (平成8年1月1日号)

鍬【くわ】
 正月7日は三嶋大社のお田打祭です。この日、舞殿では社家の人々による静岡県無形民俗文化財の「お田打」が演じられ、周辺の農村から集まった多くの参拝者の前で、米の豊作を祈願する予祝行事が行われます。

 昔、「お田打」は旧暦の6日に行われていたことが広重の描いた東海道五十三対の浮世絵で分かりますが、明治の新暦採用以降、現行の7日になったものと思われます。

 予祝行事は一年の始めにあたって豊作を予め祝うことで、そのようになればいいな、と願う民衆の切なる祈願を込めた行事です。昔の言い伝えには、この日参拝に集まった農民たちは、それぞれが自慢の種籾を持ち寄り、お互いに交換しあったものだそうです。

 「お田打」を演じる人間の主役は穂長と福太郎という二人です。舅と婿という役柄の彼らは力を合わせて田を耕し、肥料を埋め込み、種を蒔き、鳥を追うなどの稲作前半の重要な作業過程を所作し、全体が狂言風の素朴な芸能となっています。

 ところで、ここでは二人が手に持つ鍬について述べてみます。

 鍬は柄も刃も檜製で、柄には椿の小枝が一本添えられ、刃の部分は墨で黒く塗られています。

 穂長と福太郎の二人の演者は、鍬を担いで田を祝し、鍬を振り下ろして田を耕す所作をくり返します。いよいよ稲作の一年の始まりです。

 鍬が農民に欠かせない道具となったのは古いことです。最も初期の鍬は、柄の直線上に刃がある突き棒で、地面を耕すというより、掘り起こして山芋などを採集する道具として使用されました。柄に刃が直角に近い角度で付けられるようになって、鍬は畑や田を耕す道具として使われるようになりました。栽培農業の始まりです。以来、長い間鍬の基本的な形は変わりません。

 鍬が普及し、鉄刃が付けられたのは「風呂鍬」が最初です。フロは柄と直結した鍬の木製台部を指し、これは古い型の鍬です。お田打で使用される鍬もこの型の鍬です。今年の「お田打」では鍬に注目してみるのもいかがでしょう。
(広報みしま 平成8年1月1日号掲載資料)