天狗の話

 むかーし、むかし、ある村で、ひとりであそんでいた小さな男の子が、きゅうに見えなくなりました。
 おとうさんもおかあさんも、近所の人たちも、心配して、あちらこちらをさがしたのですが、どうしても見つかりません。
 どこかの川におちて、死んでしまったのでは…ということで、しかたなくおそうしきをすませました。
 ところが、おそうしきから、ひと月くらいすぎたころ、しんせきの人が、うら山の木のえだをとび歩いている、死んだはずの男の子を見たというのです。
 それから数日たって、こんどは、おとうさんが、木の枝をかるがるととび歩いている、わが子のすがたを、はっきりと目にとめたのです。
 大さわぎをしましたが、まるで、まぼろしのような話なので、どうすることもできません。
 村の人は、これは、てっきり天狗のしわざに違いないと、こわがって、子どもをさがすのをやめてしまいました。
 さてその後も、おとうさんとおかあさんは、雨の日も風の日も、子どもをさがしつづけました。
 親の子を思う気もちに、天狗の心が、うごかされたのでしょうか。
 ある朝、家の前に、こんこんとねむりこんだ男の子を発見したのです。
 それから三日目、深いねむりからさめ、ようやく、われにかえった男の子は、天狗に、まんじゅうだと言って、馬ぐそを食べさせられたり、木のえだをとび歩くじゅつをおしえられたりしたことを、こわごわと話すのでした。
 子どもがかえってきて、おとうさんとおかあさんも、やっと安心しました。
 それからというもの、村の人たちは、小さい子どもがひとりであそんでいると、天狗がさらう、と語りつぐようになりました。