(第2号) 三四呂人形(昭和62年8月1日号)

 「三四呂人形」は三島で生まれた三島を代表する人形です。作者・野口三四郎の名前から「みよろ」とつけられました。
 「素朴」「かわいい」「なつかしい」「メルヘンチック」…三四呂人形を見た多くに人々が、たくさんの賛辞を置いていってくれます。
 「水辺興談」はあふれるような三島の清流で、裸ん坊で遊ぶ二人の男の子が主題です。捕ったばかりの魚を手のひらに、得意気です。これは第一回人形芸術展で、芸術印象を獲得した作品です。
 「桃子」「里子」は、ふっくらほっぺのあどけない二人の童女。亡き愛娘の桃里ちゃんが主題です。三四郎は三つになったばかりの桃里ちゃんを、病魔に奪われてしまったのでした。
 野口三四郎は、明治三十四年に三島大中島(現・本町)で生まれました。画家志望の韮中時代(現・韮山高校)、三越百貨店早取り写真技師の東京時代、結婚、甲戌会という人形作家仲間の会結成、そして病など、三十七歳という短い生涯を駆け抜けるように生きた人でした。
 三四郎の波乱に富んだ一生を支えたのは、彼をはぐくんだふるさと三島ではなかったか、と思われます。それは多くの遺作「三四呂人形」にみごとに表現されています。
 短い人生の、その何分の一にも満たなかった人形作り時代に、熱いふるさとを思う心を燃やし尽くしたのでした。  私たちは、もっともっと多くの人に三四呂人形の魅力を伝えたい、と願っています。
(広報みしま 昭和62年8月1日号掲載記事)