三島石

「三島石」丁場の跡(文教町)
 三島市の市街地北側一帯は、富士山の噴火で流れて固まった、厚い溶岩層に覆われています。溶岩は黒色、堅固で、細かい穴が開いています。これを「三島石」と呼び切り出しました。丁場(採石場)の小字名をとって「小浜石」「一丁田石」「小堰石」ともよばれました。
 三島石は石垣用の間知石や石塔(墓)等に使われました。また粉挽き用の石臼にも適した堅さでした。
 本格的に切り出されるのは、大正年間に重砲兵連隊が来た時で、現在の日本大学東側付近の溶岩を撤去の際、作業した石屋がきめの細かい三島石を発見し、それ以来採掘するようになりました。
 現在、三島石の各丁場跡は埋め戻され、住宅地などに変わりました。しかし市内には三島石を用いた石垣・石橋・墓石等が残り、三島独特の景観を作っています。