ふるさとの人物から8  箕田寿平(みたじゅへい) 〈俳諧(はいかい)の宗匠、教育者〉  (平成16年11月1日号)

 江戸~明治時代にかけて、三島からは俳諧の才能あふれる人材が出現します。その一人が八反畑(はったばた)出身の箕田寿平(みたじゅへい)こと弧山堂凌頂(こざんどうりょうちょう)です。

 天保11年(1840)に地主、渡辺万介の子として生まれ、三島宿の漢学者福井雪水の門下で学び、18歳で江戸に出て、俳壇の重鎮弧山堂(こざんどう)卓郎の下で俳諧を学んでいます。

 後に大成して弧山堂を継ぎ、凌頂と称しました。俳諧研究に力を注ぎ「鳴鶴社(めいかくしゃ)」を興して俳諧雑誌を主宰し、研究会を催しています。また、地元では後素義塾(ごそぎじゅく)を開き、子弟の教育にあたります。後の梅名学校、現在の中郷小学校の前身となる学校です。

 一方、実業家としても名を上げ、豆相(ずそう)鉄道(現、伊豆箱根鉄道)の敷設を支援し、巴川〈ともえがわ(静岡市)〉の改修も企てます。箕田寿平の墓は青木の周福寺にあります。  

【広報みしま 平成16年11月1日号掲載記事】