三島市 指定等文化財を紹介します(市指定 その5)

三島市の指定等文化財についてお知らせします。

三島市の指定等文化財

三島市にある指定等文化財について、紹介します。
(指定文化財紹介ページの移行中のため、一部の情報が未掲載となりますが、順次追加していきます。)

天正十八年豊臣秀吉掟書

種別 市指定 有形文化財(古文書)
よみ てんしょうじゅうはちねんとよとみひでよしおきてがき
員数 1点
所有者・管理者 郷土資料館
所在地 一番町
指定日 平成25年

概要
天正18年(1590)に豊臣秀吉と小田原北条氏との間で行われた小田原合戦に際し、北条氏領国下の郷や村の人々に対する豊臣軍の行動を規制し、治安維持を保証するため発給された文書。この掟書は肥田郷・塚本郷・間宮郷・澤郷・安久郷・多呂村・北澤村・中島郷・梅縄村に宛てられたものである。

市29aa 豊臣秀吉掟書

市ヶ原廃寺塔心礎

種別 市指定 有形文化財(考古資料)
よみ いちがはらはいじとうしんそ
員数 1基
所有者・管理者 祐泉寺
所在地 大社町
指定日 昭和41年

概要
大社町郵便局前の旧下田街道上にあったとされるが、現在は祐泉寺境内に置かれている。 市ヶ原廃寺は大社町の法華寺から祐泉寺、さらに北の三嶋大社前の旧東海道近くまでを境内とした大寺であった。昭和28年の軽部氏による発掘調査の結果、塔心礎石および一部遺構の検出、瓦の出土により白鳳末期から天平にかけて創建された仏寺跡と判明した。礎石は枘穴式のもので、下田街道の工事中に出土している。
市30aa 市ヶ原廃寺 塔心礎

光安寺板碑

種別 市指定 有形文化財(考古資料)
よみ こうあんじいたび
員数 1基
所有者・管理者 光安寺 
所在地 日の出町
指定日 平成2年

概要
緑泥片岩 (青石)で、首部に二条線があり、頂部は山形。延文 3年(1358) 11月とあり、14世紀南北朝時代の関東型の特長を備えている。三種子と大日如来の真言である 「光明真言」の 24字が刻まれ密教の影響が見られる。

向山古墳出土遺物(鉄製品)

種別 市指定 有形文化財(考古資料)
よみ むかいやまこふんしゅつどいぶつ てつせいひん
員数 41点
所有者・管理者 三島市
所在地 大宮町
指定日 平成3年

概要
出土鉄製品は向山古墳第1号墳からのもので、鉄剣、4本、鉄鉾 1本、 直刀 2本、鉄鏃 34本の41点で構成される。1号墳は古墳時代中期の円墳で小学校建設のため、現在は消失している。これらの鉄製品は木簡直葬式の主体部から発見された。

市32aa 向山古墳群出土遺物

吊手土器

種別 市指定 有形文化財(考古資料)
よみ つりてどき
員数 1点
所有者・管理者 三島市
所在地 大宮町
指定日 平成4年

概要
鍔状で幅広の口縁を有する浅鉢が基本、これにアーチ状を呈する橋状の釣手を取り付けた特徴的な土器で、縄文時代中期のみに見られる。特異の装飾を施していることから、何等かの儀式の祭に用いられた非日常的な用具と考えられる。

市33aa 吊手土器

箱根田遺跡出土祭祀関係遺物

種別 市指定 有形文化財(考古資料)
よみ はこねだいせきしゅつどさいしかんけいいぶつ
員数 70点
所有者・管理者 三島市
所在地 大宮町
指定日 平成15年

概要
祭祀儀礼に使用された人面墨書土器12点、人形木製品10点などの祭祀関係遺物70点で構成される。箱根田遺跡は奈良~平安時代の遺跡で、三島市南部の安久地区に位置する。
発掘調査の結果、遺跡内には河川が流れており、川辺では自分の身に付いた罪やケガレを人面墨書土器や人形木製品に移し、川に流し去ることで禍が起こることを防ぐ「祓い」の祭祀を行なっていたことがわかった。また、この河川は下流では大場川から狩野川、さらに駿河湾につながることから、本遺跡は物資の集積を行なう水運の拠点だったと推定され、他地域から持ち込まれる物資のなかにあるケガレが、自分たちの暮らす地域に侵入し、禍を引き起こすことを防ぐ祭祀も行なっていたと考えられる。

市34aa 箱根田遺跡 出土遺物 墨書土器

扁額「三島黌」

種別 市指定 有形文化財(歴史資料)
よみ へんがく みしまこう
員数 3点
所有者・管理者 郷土資料館、東小学校
所在地 一番町、東町
指定日 平成9年

概要
明治5年(1872)に三島宿の有志により伊豆で最初の小学校、「開心庠舎(かいしんしょうしゃ)」がつくられました。この年の学制発布により開心庠舎は官立の小学校となり、明治6年からは「三島学校(三島黌)と改称しました。 明治19年小学校令公布により町立尋常三島小学校が誕生するまでこの学校名が使用された。 (1)明治11年 三条実美筆 絹本墨書 (2)三条筆の扁額(1)を木製額に彫刻したもの (3)明治12年 杉孫七郎筆 紙本墨書 の3点からなる。
三条実美は明治新政府の太政大臣。
杉孫七郎は宮内大輔兼侍補で明治12年のグラント将軍三島来訪の際にグラントに付き添っている。グラント将軍の歓迎式が竣工したばかりの三島黌の西洋風校舎で行われたため、その縁で揮ごうを依頼したと思われる。

市35aa 三島黌扁額(木製)