ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 教育推進部 > 文化財課 > 市指定 有形文化財(考古資料・歴史資料)

本文

市指定 有形文化財(考古資料・歴史資料)

ページID:0029710 更新日:2026年3月13日更新 印刷ページ表示

(有形文化財 考古資料)市ヶ原廃寺塔心礎

種別 市指定 有形文化財(考古資料)
よみ いちがはらはいじとうしんそ
員数 1基
所有者・管理者 祐泉寺
所在地 大社町
指定日 昭和41年

概要
大社町郵便局前の旧下田街道上にあったとされるが、現在は祐泉寺境内に置かれている。 市ヶ原廃寺は大社町の法華寺から祐泉寺、さらに北の三嶋大社前の旧東海道近くまでを境内とした大寺であった。昭和28年の軽部氏による発掘調査の結果、塔心礎石および一部遺構の検出、瓦の出土により白鳳末期から天平にかけて創建された仏寺跡と判明した。礎石は枘穴式のもので、下田街道の工事中に出土している。
市30aa 市ヶ原廃寺 塔心礎

(有形文化財 考古資料)光安寺板碑

種別 市指定 有形文化財(考古資料)
よみ こうあんじいたび
員数 1基
所有者・管理者 光安寺
所在地 日の出町
指定日 平成2年

概要
緑泥片岩 (青石)で、首部に二条線があり、頂部は山形。延文 3年(1358) 11月とあり、14世紀南北朝時代の関東型の特長を備えている。三種子と大日如来の真言である 「光明真言」の 24字が刻まれ密教の影響が見られる。

(有形文化財 考古資料)向山古墳出土遺物(鉄製品)

種別 市指定 有形文化財(考古資料)
よみ むかいやまこふんしゅつどいぶつ てつせいひん
員数 41点
所有者・管理者 三島市
所在地 大宮町
指定日 平成3年

概要
出土鉄製品は向山古墳第1号墳からのもので、鉄剣、4本、鉄鉾 1本、 直刀 2本、鉄鏃 34本の41点で構成される。1号墳は古墳時代中期の円墳で小学校建設のため、現在は消失している。これらの鉄製品は木簡直葬式の主体部から発見された。

市32aa 向山古墳群出土遺物

(有形文化財 考古資料)吊手土器

種別 市指定 有形文化財(考古資料)
よみ つりてどき
員数 1点
所有者・管理者 三島市
所在地 大宮町
指定日 平成4年

概要
鍔状で幅広の口縁を有する浅鉢が基本、これにアーチ状を呈する橋状の釣手を取り付けた特徴的な土器で、縄文時代中期のみに見られる。特異の装飾を施していることから、何等かの儀式の祭に用いられた非日常的な用具と考えられる。

市33aa 吊手土器

(有形文化財 考古資料)箱根田遺跡出土祭祀関係遺物

種別 市指定 有形文化財(考古資料)
よみ はこねだいせきしゅつどさいしかんけいいぶつ
員数 70点
所有者・管理者 三島市
所在地 大宮町
指定日 平成15年

概要
祭祀儀礼に使用された人面墨書土器12点、人形木製品10点などの祭祀関係遺物70点で構成される。箱根田遺跡は奈良~平安時代の遺跡で、三島市南部の安久地区に位置する。
発掘調査の結果、遺跡内には河川が流れており、川辺では自分の身に付いた罪やケガレを人面墨書土器や人形木製品に移し、川に流し去ることで禍が起こることを防ぐ「祓い」の祭祀を行なっていたことがわかった。また、この河川は下流では大場川から狩野川、さらに駿河湾につながることから、本遺跡は物資の集積を行なう水運の拠点だったと推定され、他地域から持ち込まれる物資のなかにあるケガレが、自分たちの暮らす地域に侵入し、禍を引き起こすことを防ぐ祭祀も行なっていたと考えられる。

市34aa 箱根田遺跡 出土遺物 墨書土器

(有形文化財 歴史資料)扁額「三島黌」

種別 市指定 有形文化財(歴史資料)
よみ へんがく みしまこう
員数 3点
所有者・管理者 郷土資料館、東小学校
所在地 一番町、東町
指定日 平成9年

概要
明治5年(1872)に三島宿の有志により伊豆で最初の小学校、「開心庠舎(かいしんしょうしゃ)」がつくられました。この年の学制発布により開心庠舎は官立の小学校となり、明治6年からは「三島学校(三島黌)と改称しました。 明治19年小学校令公布により町立尋常三島小学校が誕生するまでこの学校名が使用された。 (1)明治11年 三条実美筆 絹本墨書 (2)三条筆の扁額(1)を木製額に彫刻したもの (3)明治12年 杉孫七郎筆 紙本墨書 の3点からなる。
三条実美は明治新政府の太政大臣。
杉孫七郎は宮内大輔兼侍補で明治12年のグラント将軍三島来訪の際にグラントに付き添っている。グラント将軍の歓迎式が竣工したばかりの三島黌の西洋風校舎で行われたため、その縁で揮ごうを依頼したと思われる。

市35aa 三島黌扁額(木製)

(有形文化財 歴史資料)「豆州伊豆佐野村」絵図

種別 市指定 有形文化財(歴史資料)
よみ ずしゅういずさのむら えず
員数 1点
所有者・管理者 勝俣家
所在地 佐野
指定日 12年

概要
元禄 11年(1698)に作製されたものである。和紙に淡彩で山なみや川、道、水田、畑に加え、神社や寺院、民家などが描かれている。絵図上方には 「相模」、下方に 「駿河」、図内に 「境川」(現大場川)、「山道」、「みるめ大明神」、「耕月寺」、「庚申堂」 がそれぞれ記され、江戸時代初期の伊豆佐野村のようすが描かれている。また、絵図周辺に相模や駿河の国名が記されていることから、伊豆佐野村が伊豆の北端の村だったことが理解できる。

市36aa 佐野村絵図

(有形文化財 歴史資料)花島家資料

種別 市指定 有形文化財(歴史資料)
よみ はなじまけしりょう
員数 136点
所有者・管理者 郷土資料館
所在地 一番町
指定日 平成15年

概要
明治という時代にあって、花島家が三島の近代化に果たした役割は計り知れないものがある。
花島家は明治18年(1885)から牛乳販売をはじめ、24年に練乳場を創業しコンデンスミルク製造を開始、31年には製品を海外に輸出するようになった。また、キリスト教徒の草分けとして、明治19年に花島家一族7名が洗礼を受け、信仰のため当時営んでいた酒造業をやめ、酒蔵の1階を教会礼拝堂に、2階を県下初のキリスト教主義女学校の教室に改装した。

市37aa 花島家資料 賞状市37aa 花島家資料 引き札市37aa 花島家資料 資料
内国勧業博覧会表彰状、豊牧社暦、三島種牛場決算報告書

(有形文化財 歴史資料)接待茶屋関係調度品大茶釜外3点

種別 市指定 有形文化財(歴史資料)
よみ せったいちゃやかんけいちょうどひん おおちゃがまほか3てん
員数 4点
所有者・管理者 郷土資料館
所在地 一番町
指定日 平成23年

概要
接待茶屋は江戸時代後期、箱根の西坂、東坂、中山道碓氷峠、和田峠に1か所ずつ、計4か所設けられた休憩所で、江戸呉服町の豪商加勢屋與兵衛が幕府の許可を得て開設・運営したものである。幕末に廃絶するが、箱根西坂では明治12年に八国性理教会が再興し、教会が運営から撤退したのちは鈴木家による家族経営となり昭和45年まで続けられた。
大茶釜・大鉄湯釜は、明治12年、深川・田中七右衛門鋳造のもので、昭和45年に経営を閉鎖するまで調度品として使用されてきたものである。懸札は2枚あり1枚は江戸時代に使われたもので「永代せつたい所」、もう1枚は明治時代以降に使われたもので「御休息せつたい茶屋」と刻まれている。

市38aa 接待茶屋茶釜市38aa 接待茶屋資料
明治12年 八国性理教会製作

皆さまのご意見をお聞かせください

お求めの情報が十分掲載されていましたか?
ページの構成や内容、表現は分かりやすかったですか?
この情報をすぐに見つけられましたか?