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三島市 指定等文化財を紹介します(市指定 その6)
三島市の指定等文化財についてお知らせします。
三島市の指定等文化財
三島市にある指定等文化財について、紹介します。
(指定文化財紹介ページの移行中のため、一部の情報が未掲載となりますが、順次追加していきます。)
「豆州伊豆佐野村」絵図
種別 市指定 有形文化財(歴史資料)
よみ ずしゅういずさのむら えず
員数 1点
所有者・管理者 勝俣家
所在地 佐野
指定日 12年
概要
元禄 11年(1698)に作製されたものである。和紙に淡彩で山なみや川、道、水田、畑に加え、神社や寺院、民家などが描かれている。絵図上方には 「相模」、下方に 「駿河」、図内に 「境川」(現大場川)、「山道」、「みるめ大明神」、「耕月寺」、「庚申堂」 がそれぞれ記され、江戸時代初期の伊豆佐野村のようすが描かれている。また、絵図周辺に相模や駿河の国名が記されていることから、伊豆佐野村が伊豆の北端の村だったことが理解できる。

花島家資料
種別 市指定 有形文化財(歴史資料)
よみ はなじまけしりょう
員数 136点
所有者・管理者 郷土資料館
所在地 一番町
指定日 平成15年
概要
明治という時代にあって、花島家が三島の近代化に果たした役割は計り知れないものがある。
花島家は明治18年(1885)から牛乳販売をはじめ、24年に練乳場を創業しコンデンスミルク製造を開始、31年には製品を海外に輸出するようになった。また、キリスト教徒の草分けとして、明治19年に花島家一族7名が洗礼を受け、信仰のため当時営んでいた酒造業をやめ、酒蔵の1階を教会礼拝堂に、2階を県下初のキリスト教主義女学校の教室に改装した。



内国勧業博覧会表彰状、豊牧社暦、三島種牛場決算報告書
接待茶屋関係調度品大茶釜外3点
種別 市指定 有形文化財(歴史資料)
よみ せったいちゃやかんけいちょうどひん おおちゃがまほか3てん
員数 4点
所有者・管理者 郷土資料館
所在地 一番町
指定日 平成23年
概要
接待茶屋は江戸時代後期、箱根の西坂、東坂、中山道碓氷峠、和田峠に1か所ずつ、計4か所設けられた休憩所で、江戸呉服町の豪商加勢屋與兵衛が幕府の許可を得て開設・運営したものである。幕末に廃絶するが、箱根西坂では明治12年に八国性理教会が再興し、教会が運営から撤退したのちは鈴木家による家族経営となり昭和45年まで続けられた。
大茶釜・大鉄湯釜は、明治12年、深川・田中七右衛門鋳造のもので、昭和45年に経営を閉鎖するまで調度品として使用されてきたものである。懸札は2枚あり1枚は江戸時代に使われたもので「永代せつたい所」、もう1枚は明治時代以降に使われたもので「御休息せつたい茶屋」と刻まれている。


明治12年 八国性理教会製作
千枚原遺跡
種別 市指定 有形文化財(史跡)
よみ せんまいばらいせき
員数 1遺跡
所有者・管理者 三島市
所在地 千枚原
指定日 昭和46年
概要
千枚原遺跡は県東部の代表的な縄文時代の遺跡であり、過去 3度の発掘調査が行われている。調査の結果、縄文時代後期の住居跡15軒程が検出され、このうち敷石住居 2軒と周辺の遺構を保存するため、遺跡の一部を緑地公園とし、973平方メートル分を史跡に指定した。
愛染院跡の溶岩丘
種別 市指定 有形文化財(天然記念物)
よみ あいぜんいんあとのようがんきゅう
員数 ―
所有者・管理者 三島市
所在地 一番町
指定日 昭和41年
概要
指定名称は「溶岩丘」だが、一般には「溶岩塚」と呼称されることが多い。
この溶岩塚は今から1万年ほど前の富士山噴火の際の溶岩流、三島溶岩流によるもの。溶岩塚とは冷えて固まった溶岩流の表面を、内部の溶岩が持ち上げてできたものである。また、溶岩上の貧弱な土壌にもかかわらずケヤキやコナラ、クヌギ等の樹木が自生しており、これらの植生も貴重である。
愛染院とは、幕末までこの地にあった寺院で広大な境内を持った三嶋大社の別当時の名である。幕末の安政東海地震で大きな被害があり、明治初めには神仏分離令が出されたことにより三嶋大社宮司により社僧が還俗させられ、廃絶した。
神明宮神社社叢
種別 市指定 有形文化財(天然記念物)
よみ しんめいぐうじんじゃしゃそう
員数 境内
所有者・管理者 神明宮神社
所在地 御園
指定日 昭和60年
概要
神明宮は御園にあり、寛弘 2年(1005) 創建と伝えられる。境内にはイヌマキ 30本余、クスノキ7本、その他モチノキ、ケヤキが多数植えられ、何れもよく生育している。なかでも、樹齢300年以上と推定できるものとして、クスノキ5本、イヌマキ5本などがあり、その価値は高い。
中のカシワ
種別 市指定 有形文化財(天然記念物)
よみ なかのかしわ
員数 1本
所有者・管理者 三島市
所在地 中
指定日 昭和60年
概要
ブナ科の落葉高木で、葉がカシワ餅を包むのに利用される。このカシワは江戸時代初期、寛永年間に中村の名主が庭に植えたものである。指定時は根回り170cm、目通り160cm、樹高20mであった。現在は樹木管理のため剪定されている。





