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令和8年度広島市平和祈念式中学生派遣事業を実施しました。

ページID:0035918 更新日:2026年8月17日更新 印刷ページ表示
 三島市は、昭和34年12月21日市議会において「平和都市(核非武装)」を宣言し、平和都市実現のための事業を実施しています。
 この事業の一環として、平成7年度から市内の中学生を毎年8月6日の広島市平和祈念式に派遣しています。これは、三島の将来を担う若い人たちに戦争の悲惨さや平和の尊さについて再認識していただき、そこで感じた思いや経験を多くの人に伝えていただきたいためです。
 派遣事業では、平和祈念式への参列や広島平和記念資料館の見学のほか、原爆死没者慰霊碑献花台への献花、原爆の子の像へ折り鶴の奉納、平和の泉への献水、被爆体験講和など、平和の思いを胸に深く刻み込みました。
 参加した8人の中学生が、広島市平和祈念式派遣事業を通して感じたことなどを紹介します。
祈りの泉の前で集合写真

三島市立錦田中学校 1年 米田 悠さん

 広島でうかがった被爆体験のお話や資料館に展示された品々を通して、今こうして温かいご飯を食べたり、友達や家族と楽しく会話したりできる日常が、いかにかけがえのないものかをあらためて実感しました。 今から81年前の8月6日も、当時の人々は電車に乗って出かけたり、仲間と笑い合ったりして、今の私達と変わらない穏やかな日々を過ごしていました。しかし、たった一発の原子爆弾が、そんな人々の大切な日常と広島の美しい街を一瞬で奪い去ってしまったのです。悲惨な状況を生き残った方々は、二度と誰にも同じ苦しみを味わわせないために、思い出すのもつらい記憶を抱えながら、私達へ平和の尊さを伝え続けてくださっています。だからこそ、私達はその思いをしっかりと受け止め、二度と悲劇を繰り返さない未来を作っていかなければならないと強く思いました。
 今、私達は、平和な日本という恵まれた環境の中で、世界の歴史や平和の大切さについて学んでいます。しかし世界を見渡すと、現在もあちこちで紛争が続き、核ミサイルや様々な武器によって日々多くの命が奪われています。中には、私達と同世代やそれより小さな子ども達が犠牲になっている現実もあります。 私達は平和記念式典に参加し、核兵器のない平和な世界になってほしいと祈り、誓いをたてました。語り部の方々や平和を願い続けるすべての人々の強い想いを胸に、誰もが平和を「自分自身の問題」として真剣に考え、身近なところから行動を起こしていくことが必要です。広島で学んだこの大切な気持ちを忘れず、一日一日、丁寧に生きていきたいと思います。

三島市立山田中学校 1年 石井 智之さん

 僕は、広島市平和祈念式派遣事業に参加し、この二日間で戦争・原爆の恐ろしさについて学び、知ることができました。
 一日目は、平和記念資料館や、原爆ドームに行きました。原爆ドームは、写真では見たことがありましたが、実際に目にして、大きく崩れているがれきや骨組みだけになってしまった建物の様子から、原爆の怖さを改めて感じました。
 二日目は平和祈念式に参加し、その後、全国こども平和サミットに参加しました。
そこでは、14歳の時に被爆した、河野さんという方のお話を聞くことができました。そのお話の中の広島の様子は、前日に資料館で見た当時の様子と同じように、とても悲惨なものでした。特に印象に残ったのは、河野さんが目にされた、たくさんの死体の様子です。電車のつり革に腕だけがついていた人、髪はちぢれ、皮膚がぶらさがっていた人、目玉が飛び出ていた人、お腹が破れ、内臓が飛び出ていた人、と、想像することも怖いくらいの様子でした。亡くなった人たちは身内にも会えず、まとめて火葬されてしまったそうです。聞いていて、とても胸が苦しくなるような話ばかりでした。
 河野さんがこのような原爆の事を話してくださったのは、僕たちにその歴史を伝えることで、原爆が二度と使われないこと、戦争が二度と起こらないことを願ってのことだと思いました。今回、僕が学んだことや感じたことを周りの友人や家族に伝えていき、戦争がなくなれば良いと思います。

三島の水を献水

三島市立中郷西中学校 3年 中村 いち花さん

 今回、広島市平和祈念式に参加して、原子爆弾の恐ろしさや、その影響の大きさを実際に感じることができました。平和記念資料館や原爆ドームを見学し、原爆の被害者の話を聞くなど、普段ではできない体験をすることができました。
 私は二日間を通して1番心に残ったことは、被爆者による講話です。講話では戦争による被害の大きさや情景などがよく伝わりました。教科書からでは感じることのできない体験ができました。被爆者の方からの「様々の価値観を認め合う」、自分たちで「何ができるか、協力できるか」考えることは大事だと思いました。
 平和について私は自分にできることはやってみたり、お互いに認め合うことが大事だと思いました。
 今回学んだことを忘れないで身近な人に話したり、気持ちを考えて行動したいです。

三島市立中郷中学校 2年 松本 幸奈さん

 広島に行く前の私は、「戦争は怖いもの」、「原爆が落とされたもの」という認識しかありませんでした。教科書やテレビで知った過去の出来事で、自分とは遠いもののように思っていました。そんな私の考えを大きく変えたのが、被爆者の方の体験話と、平和記念資料館でした。資料館で写真や展示を見たときは「本当にこんなことが起きたのだろうか。」と、目の前のものを現実とは受け止めがたい気持ちになりました。原爆は一瞬で多くの命を奪っただけでなく、生き残った方々も、81年経った今でさえ後遺症や家族を失った悲しみに苦しみました。戦争は終わっても、その傷は終わらず、今でも心や、体に残り続けているのだと感じました。特に心に残ったのは被爆者の方が「これからの未来の平和をあなたたち若者に託します」とおっしゃったことです。被爆者の方は、思い出すことさえ苦しい経験を未来の平和のために勇気を出して私たちに語ってくださいました。その思いに感謝し、私たちが受け継いでいかなければならないと強く感じました。広島は人類史上初めて原子爆弾が投下された場所であり、長崎は今までで最後に投下された場所です。私は長崎が永遠に「最後の被爆地」であり続けるように願いました。二度とあのような悲劇を繰り返さないために、学んだこと、感じたことを伝え続け、平和のために尽力すると決意しました。

広島市平和記念式典会場の様子

三島市立南中学校 3年 石原 翠さん

 原爆の再現映像を見た時、私は今までに経験したことがないほどの衝撃を受けました。たった一発の爆弾によって一瞬で広島中が煙に包まれ、煙が晴れるといたるところに炎が上がっていました。これが現実に起こったこととはとても思えませんでした。原爆資料館で見た被爆者の遺影は皆笑顔で、生前の幸せな日々が見えるようでした。共に並べられた遺品を見ると、多くが茶色くなったり黒く焦げたりしていました。洋服は原型を留めず、ぼろ布のようでした。この服を着ていた人たちがどうなってしまったのか、想像するととても怖くなりました。展示品を見ていると、涙が出てきました。どうしてこの人たちは死ななければならなかったのだろう。なぜこんなことになってしまったんだろう。あまりに凄惨な現実に愕然としました。
 二日目、被爆された方からお話を伺いました。彼女は原爆投下の翌日、姉を探しに広島に行って被爆しました。その時に見た光景は今でもずっと忘れられないと言います。がれきの上、そこかしこに放置されている死体。大火傷をした人々が無言で長い行列を作って広島から逃げていく様子。同じ人間とは思えない奇妙な顔になった人々。彼女は、怖くて、気持ちが悪くて、見ていられなかったと言います。私は原爆資料館の展示を見たことで、原爆というものを分かったつもりになっていたけど、生で彼女の話を聞いて、それが本当にあったことなんだと、その時やっと実感しました。
 今回の体験を終え、私は改めて核兵器は絶対に無くさなくてはならないという思いを強くしました。しかし、世界中で戦争や紛争が絶えず、多くの国が核兵器を持っている今、これらをすぐに無くすことは不可能に近いとも思っています。ですがそれをただ見ているだけでは未来は変わりません。一人ひとりが戦争の怖さや愚かさを自分ごととして考え、行動していけば、平和な未来を創ることは可能だと思います。過去の過ちを認め、その上で戦争を起こさないよう全員で声を上げていくべきだと思います。

三島市立北上中学校 2年 福本 千咲さん

 資料館で、被爆者の写真や絵、被爆者の思いを、見たり、知ったりして衝撃を受けました。今まで、戦争や原爆について、知識として知ってはいても、どこか遠くの出来事のような気がしていたけれど、悲惨な事実を資料館で見て、遠くの出来事ではなく、日本国内で実際に起こったことだと強く感じました。罪のない多くの人が苦しんだことを目の当たりにして、目をそむけず、しっかり向き合おうと思いました。長い年月、苦しんできた被害者の思いを知り、二度と繰り返してはいけないことだと感じました。繰り返さないようにするために、まずは身近な人に、今回私が広島へ行き、学んだことを自分の言葉で伝えようと思いました。誰かに任せるのではなく、一人一人が戦争について自分事として認識することが大切だと思いました。戦争を防ぐには、うわさや印象で人や国を決めつけないことが大切だと私は考えました。原爆や戦争についてだけではなく、もっと幅広く、たくさんのことについて知れば、勝手に決めつけることも減ると思います。そうすれば、決めつけから対立してしまうことは少なくなると思いました。広島の今の姿は、昔、原爆が落とされたなんて考えられないほど穏やかに見えました。この、とても綺麗な広島の姿は、多くの人が平和を願い、復興のために努力したからあるもので、当たり前にあるように見える道路や家、橋などの物も当たり前ではなく、人々の思いが詰まっていると感じました。今この瞬間もどこかで原爆の後障害で苦しみ続けている人や戦争で苦しんでいる人がいることを、どんなときも忘れないようにしようと考えました。今、日本は平和に見えるけれど、本当の平和ではないと思いました。戦争がなければ平和という訳ではないと思いました。穏やかな生活を手に入れることができても、その過程で武力を使ったらそれは本当に平和と呼べるのだろうか疑問に思いました。全てを武力で解決しようとしては、また問題が起こったときに武力を使い、それによって人が苦しむということが続いてしまうから、本当の平和を手に入れるには武力を使わないことが大切だと考えました。考えが違うのは仕方のないことだと思います。それぞれの人が、違う経験、唯一無二の経験をしているため、それによって考え方は違ってくるから、どうしても意見がぶつかることもあると思うし、それを防ぐのは難しいと思います。だから、意見がぶつかっても争いにならないようにすることが戦争を防ぐ第一歩だと思いました。そのためには、対話をして、意見は合わなくても、お互いの言い分を認め合い、両者が譲れないところを両方取り入れて、みんなが納得できる結果にすることが大切だと思いました。

原爆ドーム

三島市立北中学校 2年 菅野 由真さん

 8月6日、広島に原爆を落とした人はどういう気持ちだったのでしょうか。国のためという誇らしい気持ち、それとも自分がこの爆弾を落とすことでたくさんの人の日常を壊すことに苦しい気持ちだったのでしょうか。私にはわかりません。
 それは、その体験をしたことがないから、想像でしか考えることができないからだと思います。でも、被爆者たちの声を聴き、気持ちを想像し、少しでも理解して、誰かに伝えていくことはできます。友達に、家族に、これから生まれてくる子供たちに。自分が体験したことがないからこそ、原爆を体験した人の気持ちを、叫びを想像し、伝えていかなければなりません。もう二度と、日本で、世界で、原爆が使われないように、少しでも戦争や紛争が起きないように。唯一の被爆国として被爆者たちの声を実際に聴ける私たちが未来へ担っていかねばならないのだと感じました。

日本大学三島中学校 3年 細江 惇寛さん

 私は広島に行く前まで、8月6日に何が起こったのか概ね理解していると自負していました。ですが、実際はどれだけ悲惨だったのか、どのようなエピソードがあったのかを、その場に行って平和資料館や被爆者のお話を聞くことで改めて知りました。
 平和資料館で見た写真や絵、当時被爆者が着ていた服を見て、私はとても胸が苦しくなりました。それはニュースや本で見る様な物よりも生々しく、同じ日本人がこんなことになっていたことに怒りを覚え、鳥肌が立ちました。どうすればこのようなことにならずに済んだのかを考え始めれば、きりがありませんでした。
 次に、原爆ドームを見に行った時、衝撃で再び鳥肌が立ちました。そこには81年前の「あの日」がそのまま残っていて、かろうじて元の建物の面影が分かるくらいにボロボロになっていました。
 ここのほぼ真上で爆発した、たった一発の爆弾は、人々の生活や思い、未来、命を破壊しました。戦後81年を生きる我々にとって、戦争の記憶が薄まってきています。あの恐ろしい爆弾をもう二度と使用させてはならないと思います。
 実際に被爆体験者の話を聞ける最後の世代であると言われている私達が、次の世代へと原爆の話を引き継ぎ、戦後を戦前に変えてしまわぬ様、日本人全員で平和を守っていく必要があると思いました。
 そして、核兵器がなくなって「平和の灯」が消せることを願います。

参加者全員で折った鶴の奉納

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