(第40号) 家庭の常備品だった 石臼 (平成2年10月1日号)

 あなたは、お彼岸にボタ餅を食べましたか。
「入りボタ餅に、明け団子」などと言い、昔は、彼岸にはポタ餅がつきものでした。大豆は、田んぼの畦道で作り、鉄鍋で炒って、石臼で挽けばぶ-んと香ばしいきな粉が出来上がり。こんにち、石臼で挽いたきな粉なんて、望んでも食べられるものではありません。
石臼と、きな粉の香りは、ともに懐かしいふるさとの思い出です。
 石臼には搗き臼と挽き臼(磨り白とも称する)がありますが、どこの家庭でも常備していた石臼は挽き臼のほうでしょう。構造は上臼と下臼に分かれ、上臼には挽き手が固定され、上面は穀粒を入れるように窪み、供給孔があります。上下の臼の接触面には、歯が刻んであり、挽き手を反時計方向に回転させると上臼が回り、供給孔に送り込まれた穀粒が粉になって上下臼の接触面の隙間周囲から出てきます。ゆっくりとした回転が最も効率が良く、子供がふざけて速く回して年寄りから叱られたものでした。
 ところで、このように家庭でよく使われた石臼の石はどこで産出したものか、古くからの三島の石屋さんに尋ねてみたところ「臼には三島石が良かった」と答えてくれました。
 三島石。コセギイシ(小堰石)と称する人もいます。石切場は現在の文教町で(小堰丁場)、位置は日本大学の東北隅境付近でした。三島石の多くは墓石や石垣用に使われたものですが、石臼のように生活民具にも活用されていたようです。
 普通、日本の文化は木の文化とか紙の文化であると言われますが、石臼のように、つい最近まで、思いがけない身近なところで地域独特の石の民具を使用した生活があったものです。
(広報みしま 平成2年10月1日号掲載記事)