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歴史(市のプロフィール)

ページID:0026270 更新日:2026年1月29日更新 印刷ページ表示

歴史・文化のまち

 三島は、奈良時代に伊豆国の国府がおかれ国分寺や国分尼寺が建てられました。また、三嶋大社がこの地に遷うつったこともまちを発展させた要因です。源頼朝が旗挙げしたことで知られ、伊豆一円のみならず関東の武士からも信仰を集めました。さらに江戸時代には東海道の宿場として発展していきます。明治に東海道線が開通するも駅が設置されず、時代に取り残されたまちとなりました。
 しかし、大正8 年(1919) の野戦重砲兵連隊の駐屯によりまちは活気を取り戻し始め、大正12 年(1923)の関東大震災や昭和5年(1930) の北伊豆震災の被害を経てモダンなまちに再建されます。昭和9年(1934)に丹那トンネルが開通し、現在の場所に三島駅が開業するころには活気溢れるまちとなっていました。

広重作「朝霧」
▲広重作「朝霧」

日本遺産「箱根八里」

 今も昔も、三島は交通の要衝で、市の中心を通り東西に走るのが旧東海道です。箱根旧街道西坂(箱根峠から三島宿を結ぶ12kmほど)の一部を発掘し、「石畳の道」として復元整備しました。北西に富士、南西に駿河湾を望むルートは、江戸時代の情景を残しています。道中には、一里塚や松並木など、東海道にまつわる遺跡も多く残っています。平成30 年、旧東海道(小田原宿~三島宿)と周辺の文化財が「箱根八里」として日本遺産に認定されました。

日本遺産「箱根八里」
▲日本遺産「箱根八里」

日本百名城 山中城跡公園

 山中城は、永禄年間(1558~70)、小田原城を守る城として北条氏により築城されました。駿河湾を一望におさめ、田方平野にある韮山城や敵城までも望めた山城でしたが、天正
18 年(1590)、天下統一をめざす豊臣秀吉の大軍の前に、落城しました。
 昭和9年(1934)に国の指定史跡となり、昭和56 年(1981)から障子堀の遺構を見学できる城跡公園として開放しています。

山中城
▲史跡 山中城跡と障子堀

市立公園 楽寿園

 明治維新で活躍された小松宮彰仁(こもつのみやあきひと)親王の別邸として造営された自然豊かな市立公園です。
 当時建てられた数寄屋造りの別邸( 現「楽寿館」)には、主室と控えの間があり、その室内は明治を代表する日本画家により、210 面におよぶ襖絵や杉戸絵、天井画が施されています。そのほか、2つの茶室があり、日本庭園と合わせて国や県、市の文化財に指定されています。

楽寿園内を散歩する親子
▲三島市立公園 楽寿園

満水時の小浜池
▲小浜池(満水時)

楽寿館
▲楽寿館

源兵衛川などの水辺空間

 富士山からの雪解け水が伏流水となり、市内中心部に湧き出で、初夏になると駅から徒歩5分でホタルに出会えるまちです。子どもたちが遊び、散策の場として多くの人に親しまれ、平成28年11 月に「世界かんがい施設遺産」にも登録された源兵衛川。岩の隙間から水が湧き出る白しらたき滝公園。桜川、御殿川、蓮沼川など、それぞれが個性ある流れとともに、三島の独特な水辺空間を演出しています。

源兵衛川
▲源兵衛川

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